今さらですが … 38年前、なぜこの仕事に 「ハマった」 のか ~ (笑)
38年前から、なぜ今の仕事に
「ハマってしまった」 のか ~ (笑)
これまで1,000本以上の
ブログ記事やアメブロ記事を書き
Facebook での 「ショートコラム」 などは
書いた数の計測不能!
そして、今さら、どうして?
… なんて思われるかもしれませんが (笑)
私が、なぜ、今の仕事をしているか?
(食の業界人=38年間)
「3人のメンターさん」 のお話しを
交えながら、書いてみました~!
1961年9月 北海道札幌市生まれ (北大病院うまれ)
1976年 北海道札幌開成高校1年 (15歳) の時に、所属していた演劇部の先輩に連れられ行った、カフェのオーナー 「さいとうまさひろ氏」 と、運命的に出会い、その後の4~5年間で人生最大の影響を受ける (私の記念すべき、初めてのメンターさんです)
エムズカンパニー代表。札幌の飲食プロデューサーの草分け的存在で1975年前後に、札幌市内でオーナーとして 「写楽」 「ぜんまい仕掛け」 「ペリカンバー」 「With-Bar」 など、アバンギャルドな店舗を展開、いち早くアジアのエスニック風な料理に着目した店舗 「屋台料理camcam」 が札幌で大ヒットする。その後、現場でのオーナー&プレーヤーを若手にバトンタッチ、複合商業施設 (長屋型) の建物オーナーへと転身し、エムズスペース (南2西7)|ペンシルビル (東急ハンズ裏)|エムズ二条横丁 (南2東1)|エムズイースト (南2東1)|狸スクエア (狸小路7丁目) などを立ち上げ、札幌の若手飲食店オーナーの兄貴 (父親?) 的存在で、現在に至る。
高校在学中のこの出会いをきっかけに、ホテル・レストラン・カフェなどでのアルバイトをスタート、飲食業界で働く喜びに目覚め、さらに私の脚は、東京下北沢・吉祥寺・名古屋・金沢へと向かい、本州を放浪しながら、今でいう 「おしゃれ COOL なお店」 で働くことを喜びとし、青春時代を過ごす (サービス業が私の天職であると感じたのは16歳の時)
※ あしぐちやすお 氏
35年ほど前に、札幌市内で 「3本指に入る」 とまで言われた、伝説のギャルソン (ウェイター) で、卓越した料理&ワインの知識と、リピーターをつかんで離さない 「魔法の接客サービス」 で、札幌市内、多くの飲食オーナーから、いつも引き抜きの声がかかる 「ザ・プロフェッショナル・サービスマン」 であった。その後多くのレストラン・ホテル・複合商業施設などの立ち上げを経て、現在は株式会社アレフで世界中の食材を探し回る日々のようである。
※ まきのひろし 氏
数年前に、何かと話題になったゼネコン、西松建設の幹部 (日本主要都市の支店長など) 時代に、ゼネコンのクライアントであった第一興商の創業社長・保志忠彦氏と出会い、九州第一興商の社長を経て、北海道第一興商の社長に就任する。私が会社員時代に出会った多くのオーナー社長と異なり、まきの氏は日本人としては非常に珍しいプロ経営者 (CEO) であった。幹部社員の能力をいち早く見抜き、多くの権限を幹部社員へと譲渡していく (エンパワーメント) 見事さで、私のカラダに 「経営というスピリット」 が、改めて目覚ることになった。
食ビジネスのコンサルティングオフィスとして
「ファインド」 を、個人事業で創業
2003年8月
個人事業を 「有限会社ファインド」 として法人化